本気で理念に向き合うことは、とても辛くて苦しい作業の連続だ

本気で理念に向き合うことは、とても辛くて苦しい作業の連続だ

会社のウェブサイトなんかをのぞいてみると、「わが社の経営理念は・・」みたいなことが書かれていたりするんだけど、僕自身もここ数年、本気で理念に向かい合っている。

以前は「理念なんてすぐに作れるやろ」なんて思ってたんだけど、いざ向き合ってみると、これほどまでに辛くて苦しい作業はないんじゃないかと思えるほどだった。

というわけで、理念という漠然としたものに向き合う行為について、自分自身の経験を通して感じたことを交えながら、書いていきたい。

 

誰にも理解されない作業

まず理念に向き合うといっても、なかなか他者からは理解を得られない作業である。僕が理念を創り上げ、それを磨き上げていたとしても、社員からすればもっと生産的なことに時間を費やしてくださいと思われてしまう。

それでも人が集まる集団となると、やっぱり一つの共有できる理念があった方が、より強い集団になれるわけで、理念を創り上げ、磨き上げるという行為はとても大事なのである。

でも誰もそんなことは理解してくれない。

 

別に誰かに理解されたくてやっているわけじゃないんだけど、辛くて苦しい思いが続くと、弱音の一つも吐きたくなるときがある。でもやっていることに対して理解が得られないので、弱音を吐くこともできない。

自分のなかでコツコツと、フツフツと、グルグルと、あらゆる思いをめぐらせながら行う、とても孤独な作業なのだ。

 

まるで陶芸家のような作業

理念を構築していく作業は、まるで陶芸家のような作業だと感じることがある。

理念について考えはじめる前は「良き人が集まる良き会社を!」とか「みんなで社会貢献を!」みたいに、2,3分もあれば形にできるものと思っていた。まぁ2,3分もあれば”それっぽい”理念はできあがるんだろうけど、そこには何の魅力も乗ってこない。

悩んで、苦しんで、痛みを感じながら、疲弊しながら、消耗しながら、やっとの思いで理念を創り上げていく。ぱっと見ただけ、聞いただけでは、最初とどう変わったの? 何が違うの? と思われるかもしれないが、本人にとってはまるで違う。

陶芸家だって、自身の理想とする一枚を創り上げるために、何度も同じようなお皿をつくっては壊して、またつくってを繰り返す。何も知らない他者からしたら「どれも同じでは!?」と思うかもしれないが、しっかりとそこに向き合った人間であれば、その質はまったく異なるものだと感じることができる。

そうした意味で、理念を創っていくことは、陶芸家のような作業に似ている。

 

痛みがあるから価値が生まれる

そうして痛みを伴って創り上げた理念から生み出されるものには、人を魅了する価値が生まれる。逆に言えば、痛みなくして価値は生まれないのだ。

例えば芸術作品なんかは、素人目に見ると「なんでこんな絵が何億円もするの!?」と驚いてしまう作品が多々ある。だけど何億円もするには、しっかりと理由がある。

特に前衛的な作品だと、余計に「自分でも描けるんじゃないか」なんて思ってしまうけど、ちゃんと芸術に向き合っている人が見たら、同じような絵でも素人が描いたものと、名だたる芸術家が描いたものでは、まったく違うように見えるのだろう。

作者の生きざま、痛み、悩み、苦悩なんかが理念の根底にあり、それが作品に投影されるからこそ、深みのある作品となる。そこには作者の理念や哲学がふんだんに詰め込まれているわけで、そこに価値が生まれるのだ。

このように理念あるところに、価値が生まれる作品や成果を残せるのは、なにも芸術家だけの話ではない。アーティストでも、スポーツ選手でも、経営者でも、サラリーマンでもきっと同じことのはず。

 

企業理念は共有できるものであること

ちなみに理念の一つに経営理念というものがあるが、これは複数名で共有できるものでなくてはならない。 ・・とは言っても、結局は経営者の思いが多分に投影されることになり、難しいところなんだけど、自分自身だけが満足できるようなものではいけない、ということ。

 

中小企業は経営者そのものが会社の理念に

特に中小企業の場合は、”法人”とは言いつつも企業が独立した人格を持っているというより、経営者自身に属人化されていることが多い。

そのため経営者の思いや哲学が、より濃く企業理念にも反映される。

だから経営者は崇高な経営理念を創り上げると同時に(いや、その前に)、まずは自分自身が持つ哲学を見直していかなければならない。そうした部分をおろそかにしてしまうと、空虚のような企業理念ができあがってしまう。

しっかりと苦悩しながら、痛みを感じながら哲学や理念を磨いていけば、わざわざウェブサイトとかで周知させるまでもなく、「歩く理念」や「生きる哲学」と言っては大げさだけど、存在自体が企業理念とイコールになり、それは会社全体に染みわたるんじゃないかな。

 

1対1の世界だから意味がある

誰かと共有できるっていう意味でいうと「企業活動は社会貢献のため」みたいな誰のためを思ったのか分からない理念より、もっと1対1の世界でつくりあげていくような、そんな思いが強く反映された理念がいい。

そうして「誰かのため」が積み重なっていけば、それは最終的に社会貢献にだって繋がるはず。

理念を考える上で、偉大な誰かになる必要なんてない。誰かのための自分、そして会社ということを、突き詰めていけばよいのだ。

 

理念の追求に終わりはない

理念を創り、磨いていく行為に終わりはない。生きていく上で精神的な成長が止まるなんてことはなく、常に新しい経験や学びを得ながら、自分自身はアップデートされていく。

そうすると、一度創り上げた理念も自分には合わないものになったり、おかしい部分が見えてきたりで、また磨き上げて、追求していかなければならない。

満足なんてのはほんの一瞬の出来事でしかないのだ。理念を創り上げた瞬間から、また改善点を見つけていく。時には自分自身の理念に飲み込まれそうになる瞬間だってある。

鍛錬という言葉もあるように、自分自身も鍛え上げながら、理念を磨いていく。苦悩の連続だ。

 

おわりに

本気で理念と向き合うことは、本当に辛く、苦しい作業なのだが、そうした痛みを伴って生まれるものは、やはり見る人が見れば価値が伝わるだろうし、美しくもある。

理念とはなにも経営理念のように会社に関係するものだけでなく、それぞれが自分の生き方みたいなものを考える上でも、持っておいて損はないものだと思う。

これを機に、自分自身の理念と向き合ってみてはいかがだろうか。

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